そして三年の月日が流れた

石の上にも三年とかいう諺もあるし、三年というのはなんとなく区切りのような気がする期間だ。

新卒も三年は我慢して働けとか、いやそれは古い違うと思ったらサッサと辞めろとか、まあそれはどっちでもいい。

おれが夫婦関係改善のためにひとつの方針を立てて行動しはじめてから、三年経った。

 

三年前の気づきと決意

2016年1月、おれは妻との不和の根本的原因に気づいた気がした。


それはざっくりいうと、

『妻との生活が幸せすぎて、幸せ=妻になっていた。つまり、自分の幸せを妻に依存していた。その姿勢が自分を受け身でつまらない男にし、妻の感情を冷え込ませた』

というものだった。


この原因(仮)への対策としておれは、

『自分一人で完結できる楽しみ・幸せを追求し、妻に依存せず自立して人生を楽しめる自分になろう』

と決意した。

そうすればやがて、妻は再びおれの方を向いてくれるはず、と。

 

で、何をしたか

それから、国内・海外と何度も一人旅をした。

ライブやフェスにも一人でどんどん行って楽しんだ。

「妻といっしょ」に価値を置いていた自分を意識的に変え、やりたいと思ったことは一人でどんどんやろう、臆せずどんどん踏み出していこう、そうやって過ごしてきた。

そうして三年経った。

 

で、どうなった?

2019年1月現在、おれたち夫婦は別居している。


とは言っても、別に離婚協議が進んでいるとか、そういうことではない。

ただ、やりたいと思ったことに臆せず踏み出し続けていたら、そうなった。


おれは単身東京へきたが、妻はついてきてくれなかった。

妻には妻の人生があり、妻の都合がある。

それはもう、しょうがない。


家賃や光熱費は全部おれが出しているのでダブルで払うのは少し痛いけど、東京に出たのはおれの都合だし、ぶっちゃけ妻の生活費については払いたくて払ってるところもある。

妻の生活を、人生を(金銭的に)支えてるという実績が、おれの精神を支えてる部分も確実にある。

 

前進しているか?

さて、おれは前進しているのだろうか?


わからない。

これはマジでわからない。


この道の先に、おれの幸せな人生はあるのだろうか?


わからない。


わからないけどとりあえず、三年前と変わらず、おれは妻を愛している。

結婚9年目、おれの気持ちはどうやら目減りしない。


結婚当初はちょっと疑ってた。

そのうち気持ちはすり減って小さくなっていくんじゃないかと。

でもどうやらすり減らないようだ。

今でも自分の命より彼女の命の方が大切だと、心から言える。


というわけで、ほぼ毎週末妻の住む家に帰る、交通費がわりとたいへんです。

でも彼女といっしょに食べる晩ごはんはプライスレスだしね、しゃーない。


おれが週末金かけて帰ってくるからか妻もそれに合わせて時間取ってくれるようになって、いっしょに住んでた頃よりいっしょにごはん食べる回数ずっと多い。

 

いっしょにごはん食べてお酒飲んで、そのうちコタツで眠っちゃったりして。

彼女は大抵おれと逆の方向いて横になるから、寝顔を見ながら酒飲むとかはできないんだけど。


別居もあるいは前進なのかもしれない。